質問と回答

4.人間以外の生物に於いてもコミュニケーションは成立しますか?

投稿日時: 07/06 中島 聡

 

 ウグイス(鳥)は社会情報を鳴いているわけではない、と理解しました。そうしますと、
A ウグイスは生命情報でもってコミュニケーションを成立させている。
B ウグイスにコミュニケーションという概念は適用できない。

 どちらでしょうか。または「どちらでもない」でしょうか。

 質問者 「岩石落とし」さん

回答

 正解はB。人間以外の生物にコミュニケーションという概念を適用することはできません。

 解説・説明

 日本人は、その言葉(ソシュールのシニフィアン)が意味していること(シニフィエ)を曖昧なまま使用する、という傾向が非常に強い民族です。このことは特に外来語に多く見られます。翻訳語である「情報」などもその一つで、ほとんどの人が明確な定義を知らずに使っています(これを正そうとしているのが基礎情報学!)。今回の「コミュニケーション」も同様に、明確な定義を知らないまま(しないまま)平然と使われています。ちょっと前までは「コミュニケーション能力の重要性」を吹聴する輩が仰山いましたが、彼らがコミュニケーションを明確に定義しているのを聞いたことがありません。コミュケーションの定義が違えば「コミュケーション能力」なるものも変わってくるはず。明確な定義をすることなく話を進めているのは、自分の都合の良いように解釈しているとしか思えません。学術的には全くの無意味。まあ、「定義の重要性に気が付かない残念な人たち」と言えばそれまでですが、妙な社会的な影響力を持っていたりすると百害あって一利なし、邪悪としか思えません。そう言えば、質問文にも不自然さを感じますね。社会情報を鳴く?

 基礎情報学におけるコミュニケーションの概念は明確で、ニクラス・ルーマンの社会システム論をベースに構築されています。端的に言うと、コミュニケーションは「オートポイエティック・システムである社会システムの構成素」として定義されています。さらに、「社会システムの構成素」は「擬似的な意味内容の伝達」の役割を持っています。平たく言うと「ミュニケーションにより擬似的に意味内容が伝達され、その意味内容の伝達により社会が構成される」ということです。そして、このコミュニケーションで用いられるのが社会情報という訳です。このルーム「Q&Aの部屋」の「3.人間以外の生物が社会情報を使うことはありますか?」で回答した通り、人間以外の生物は社会情報を使うことはできません。また、コミュニケーションは社会情報を用いなくてはならないので、社会情報を扱えない者がコミュニケーションを行うことはできません。つまり、人間以外が生物がコミュニケーションを行うことはできない、という結論になります。

 生命情報は自分自身の生存のために必要なもので、そこには他者は存在しません。仮に存在したとしても意味内容の伝達は不可能なので、他者からすれば無意味です。それが進化の過程であたかも意味のあるように振る舞っているように見えることがあります。昨年あるテレビ番組で次のような「植物の会話」という話がありました。

 ある植物は昆虫による食害に遭うと、その虫を駆除するような成分を含む物質を放出する。この放出された物質を、周囲に存在する同じ植物が検知すると、まだ食害に遭っていないにも関わらず駆除物質を放出し始める。この状況を「自身の被害を他者に伝え、それを受け取った側が予防措置をとった」と解釈すれば、「この植物は意味内容の伝達つまり情報交換(コミュニケーション)をしている」ということになる。よって、植物は会話している。

なかなか面白い現象ではありますが、社会で人が行うコミュニケーションとはちょっとギャップがありすぎますね。ギャップの指摘は多々ありますが、それよりも強力な反論をしましょう。実は、この現象は進化つまり突然変異と自然淘汰(自然選択)で簡単に説明することができてしまうのです。

  1.  昆虫からの食害に対して排除物質を放出する種が現れる(突然変異)。
  2.  排除物質を放出する種は生存確率が上がり繁殖するが、逆に放出しない種は数を減らす(自然淘汰)。
  3.  周囲からの排除物質に反応して、自身も排除物質を放出する種が現れる(突然変異)。
  4.  食害発生以前に排除物質を放出する種は生存確率が上がり繁殖するが、逆に放出しない種は数を減らす(自然淘汰)。
  5.  4並びに2が進行すると、周囲からの排除物質に反応して自身も排除物質を放出する種のみとなる。

如何でしょう。鳥の鳴き声についても同じように進化(突然変異と自然淘汰)で説明できることが解るでしょう。ちなみに、5の段階に到達した状態を構造的カップリング(外界とオートポイエティック・システムが密接な相互作用に再現性が生じている状態)と呼んでいます。


 「植物が会話している」なんてショッキングでなんともキャッチーなタイトルです。でも、それはマスメディアでの注目を狙った策略いわゆるマーケティングで、学術的とは言えません。もともと人間は、自分の思考を他者にも当てはめて考える傾向があります(心の理論における志向姿勢)。他者は人間だけとは限りませんから擬人化になります。擬人化は、人間と他の生物が同じ思考であることを前提にしていますが、そんな根拠はどこにもありません。ある現象(原-情報)に対して「そう考えられる」又は「そう考えると納得しやすい」と考えている(意味作用の構築)に過ぎません。もう、お分かりになりましたね。擬人化は成果メディアの動作結果に過ぎないのです。
 
 基礎情報学では主観性を重視し、天下りの客観性を否定しています。主観は膨大な数(究極には生命の数だけ)がありますので、多元性を認めていることになります。逆に、下りの客観性を認めることは一元性に繋がることになります。多元性を認めた以上、自分の主観を安易に他者に当てはめることは許されません鳥や植物などの人以外の生物種の行為を、素朴に人と同じ主観を用いて判断してはならないのです。とは言え、主観としての判断をせずに社会情報を構築することはできません。このジレンマの解決に必要なのは、常に自身の主観の正当性をチェックする、という行為です。熟考ですね。「解りやすい」が危険であることは心理学でも明らかになっています(バイアス、早い思考)。社会情報学でも情動論などが挙げられるでしょう。安易に「解りやすさ」に走るのはなく、「難しい」ことを「難しい」ままじっくりと考えることが重要なのです!ということで熟考が重要なのですが、コスパやタイパが正義となった現代社会においてそうそう認められる話ではないし…、基礎情報学が普及しないのも…(苦笑)。

 ということで、先の回答と同じほぼコメントで終わりにしましょう。進化の産物(構造的カップリング)やビッグデータからの計算された表層的な表現(生成AI)に意味を見出してしまうのは、その人の成果メディアの所業です。